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斎藤 一 【さいとう はじめ】(1844〜1916)

(市立函館博物館 所蔵)

 幕臣の山口家に生まれる。一刀流の達人であったが、19歳の時に誤って人を斬り、江戸から京都へ逃れた。上洛してきた浪士隊と会い、新選組結成後は、その腕を買われて三番隊の組長となり、沖田、永倉に並ぶ剣客で剣術師範も務めた程であった。池田屋事変では、最初の斬り込みには加われなかったが、到着後屋内に飛び込み苦戦していた近藤らを助けたという。また、伊東甲子太郎(いとうかしたろう)らが脱隊した時に同行し御陵衛士となるが、スパイとして近藤に情報を流していた。新選組に復帰した後は、山口二郎と改名し戊辰戦争に身を投じ、鳥羽・伏見、甲州勝沼の戦いを経て会津に辿り着くが、すでに近藤は亡く、負傷した土方に代わり隊長となり新選組を指揮した。しかし会津戦争が敗戦間近になると、見切りをつけて仙台に向かおうとする土方と意見が対立し、『会津を見捨てるのは正義ではない』と、一部の同士とともに会津に残る。その後、藤田五郎と改名し、会津藩士の娘時尾(ときお)と結婚。警視庁に勤務し、最後は東京教育博物館に勤務。後半生を会津人として生き、本人の希望により、市内七日町阿弥陀寺に眠っている。享年72歳。

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