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松平容保【まつだいら かたもり】 (1835〜1893)

(会津若松市 所蔵)

 美濃三万石松平義建(よしたつ)の六男として生まれ、12歳の時に会津藩主松平容敬(かたたか)の養子となる。会津藩の将来を託す期待は大きく、家風である「徳川家への忠誠、そして、皇室への尊崇」を容敬から繰り返し教わる。18歳で藩主となり、28歳の時に京都守護職を拝命。江戸帰還を命ぜられた浪士組のうち京都残留を希望する近藤勇らを御預とし、のちの新選組である「壬生浪士組」を誕生させる。
 孝明天皇からの信頼は非常に厚かったが、鳥羽・伏見の戦後その立場は暗転、忠誠を貫いてきた将軍慶喜には江戸城への登城禁止を命ぜられ、朝廷からも逆賊の汚名を着せられ、会津での孤立無援のろう城戦の末官軍の軍門に下る。その後幽閉されたが、明治二年(1869)に家名再興が認められる。晩年は日光東照宮の宮司となる。享年58歳。幕末維新については一言も語らなかったと言われる。

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