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近藤勇【こんどう いさみ】 (1834〜1868)

(佐藤福子氏 所蔵)

 武州上石原村(東京都調布市)の生まれ。16歳で天然理心流3代目近藤周助の養子になり、28歳で天然理心流4代目を襲名、近藤勇と称す。
 文久3年(1863)2月浪士隊として上洛。八・一八の政変に出動。9月、狼藉を繰り返す芹沢鴨らを暗殺し、新選組の頂点の座に立つ。翌年の池田屋事変で勇の名を世に轟かせる。慶応3年(1867)鳥羽・伏見の戦いの直前に御陵衛士の要撃で右肩に銃傷を負い、参戦せず江戸に戻り、翌年3月、新選組を甲陽鎮撫隊として甲府を攻めるが敗戦。4月、大久保大和(おおくぼやまと)の偽名で下総流山で再挙を試みるが、急襲してきた征討軍に出頭、連行途中に偽名を見破られ同月25日、東京板橋で斬首される。京都の三条河原において罪文とともに晒し首にされた。享年35歳。
 市内の天寧寺には、土方が近藤のために建立したと言われる墓がある。

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