公開日 2026年03月12日
更新日 2026年03月13日
山鹿素行生誕の地跡とは
江戸時代の代表的兵学者、山鹿素行が生まれた場所です。
素行の誕生地を記念した碑石は地元の自然石で「山鹿素行誕生地 大正15年春 元帥伯爵東郷平八郎書」と雄渾な文字が刻まれています。
素行は幕末の思想家達に与えた影響も大きく、また討ち入りで有名な赤穂義士を教育した人物とも言われています。
山鹿素行とは
山鹿流(※1)の兵学を教え、いわゆる赤穂四十七士(※2)の生みの親とも言われていることで有名です。
元和8年(1622)8月16日この地、町野左近の邸内に生まれました。
時の会津藩主は蒲生忠郷(氏郷の孫)であり、この辺一帯は武家屋敷がたくさん並んでいたところです。
素行は通称を甚五左衛門といい、父貞以が伊勢亀山から会津に来た年に生まれたと言われています。
6歳の時、父に従って江戸に出て、9歳で林羅山(※3)の門に入り、儒学・国学・神道・兵学の奥義を極め、特に兵学においては山鹿流の一派をなすに至り、その名声は天下にとどろきました。
※1山鹿流・・・山鹿素行によって著された兵学の流派。儒学の道徳と軍学を融合させた「士道」を重視し、実戦的陣法や兵法を体系化した。
※2赤穂四十七士・・・江戸時代中期、主君の仇を打った元赤穂藩士のグループ。
※3林羅山・・・江戸時代初期の朱子学派儒学者で、徳川家康から徳川家綱まで4代の将軍に仕えたブレーン。幕府の教育や学問、法整備を担い、朱子学を官学として定着させた。
『山鹿素行像(模本)』(京都大学総合博物館所蔵)を加工山鹿素行像(模本)京都大学貴重資料デジタルアーカイブ(外部サイト)
ご見学の方へ
既存ブロック塀の撤去に合わせて園路舗装と修景工事を行いました。
ひびの入った入口階段のコンクリート盤を撤去し、スロープと手すり、階段を取付け、明るい雰囲気の場所に移り変わりました。
敷地奥には山鹿素行を顕彰し、元帥東郷平八郎の書で建てられた石碑があります。1926年には除幕式が行われました。
山鹿素行生誕の地(整備前)
山鹿素行生誕の地(整備後)お問い合わせ
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