公開日 2026年01月16日
更新日 2026年01月16日
令和7年11月7日(金)から11月9日(日)まで、会津若松市民親善交流事業に、57名の市民の皆様とともに参加してまいりました。
今回は、友好都市締結20周年を迎え、江戸時代に江戸湾警備のため会津藩士とその家族が居住した神奈川県横須賀市、江戸湾警備で派遣された会津藩士の菩提寺である松翁院(通称:十夜寺)のある千葉県富津市、また、会津藩主保科家の菩提寺である実相寺(東京都港区三田)、幕末まで会津藩の上屋敷が置かれていた和田蔵門跡(東京都千代田区皇居外苑)などを訪問し、お墓参りなどをしてまいりました。幕末の動乱期に江戸湾警備として、日本の防衛に尽力した会津藩士の足跡をしっかりとたどることができました。
1 神奈川県横須賀市
交流会での室井市長あいさつ(横須賀市様から頂いた「スカジャン」姿です。)
交流会での横須賀市長 上地 克明 様のごあいさつ(本市でお贈りした「会津木綿の法被」姿です。)
令和7年10月の友好都市締結20周年式典において、双方で記念品を交換しました。
満昌寺(まんしょうじ)
鎌倉時代に、源頼朝が三浦義明(三浦大介義明)を弔うために建立した、臨済宗建長寺派の寺院です。境内には、三浦義明の廟所(墓所)があり、自由に参拝することができます。また、三浦義明は、会津蘆名(あしな)氏の祖である佐原十郎義連の父であり、会津の地を長く治めた蘆名氏は、三浦一族の流れを汲んでいます。
満昌寺(山門)
三浦義明廟所
満願寺(まんがんじ)
鎌倉時代に、佐原十郎義連が、父の三浦義明を弔うため建立した、臨済宗建長寺派の寺院です。国の重要文化財である「木造観音菩薩・地蔵菩薩立像」は、運慶一派の作とされ、三浦一族の当時の隆盛を物語っています。本堂裏には、義連の墓とされる五輪塔も現存します。会津蘆名氏の祖となった義連の遺徳を偲ぶ、三浦一族ゆかりの要所として親しまれています。
佐原十郎義連廟所の墓参の様子
腰越墓地(こしごえぼち)
会津藩士墓地であり、1810年に江戸湾警備を命じられた会津藩士とその家族の墓23基が並ぶ横須賀市指定史跡です。この墓地は、開国という大きな歴史の流れの中で、約10年にわたり江戸湾及び三浦半島を守るために活躍した会津藩士を知る上で貴重な史跡となっており、大切に守られています。当日は、三浦半島会津藩士顕彰会 会長 伊関 功滋 様、事務局長 山寺 圭 様に、顕彰活動を丁寧にご説明いただきました。
腰越墓地墓参の様子
円照寺
東京湾を一望できる高台に位置する日蓮宗の寺院です。境内には、過酷な任務の最中にこの地で没した藩士の墓6基が安置されています。国防の重責を担った会津藩士の献身の歴史を今に伝える貴重な史跡となっています。
会津藩士墓の墓参の様子
千代ケ崎砲台跡(ちよがさきほうだいあと)
明治時代に東京湾を守るために築かれた日本最大級の要塞跡で、国の史跡に指定されています。幕末に、会津藩士たちは、江戸湾警備のため、現在の砲台跡周辺(平根山)に「台場」を築き、日本の海防を担いました。この台場を引き継いた形で造られた千代ヶ崎砲台跡は、日本の近代軍事技術の進化とともに、明治の近代要塞へと変貌する前の、会津藩士による国防の歴史を伝える重要な場所です。
砲座(28cmりゅう弾砲を据え付けた場所。計三つあります。)
千代ケ崎砲台跡から望む東京湾。対岸には、千葉県富津市が見えます。
2 千葉県富津市
松扇院(しょうおういん。別名:十夜寺(じゅうやじ))
浄土宗の寺院で、江戸幕府の命で江戸湾警備にあたった会津藩の菩提所としての歴史を持ちます。現在も境内には、会津藩士の墓34基が並んでいます。幕末の海防の歴史を今に伝える貴重な場所として大切に守られています。
会津藩士の墓
房総半島会津藩士顕彰会様による墓地の説明があります。
正珊寺(しょうさんじ)
曹洞宗の寺院で、幕末、富津周辺は江戸湾警備の要衝として会津藩の領地となり、多くの藩士が派遣されました。任務中に没した会津藩士の埋葬地とされ、現在も境内には、会津藩士の墓25基が並んでいます。幕末の海防の歴史を今に伝える貴重な場所として大切に守られています。
会津藩士の墓
房総半島会津藩士顕彰会様による墓地の説明があります。
飯野陣屋跡(いいのじんやあと)
江戸時代に飯野藩2万石の藩庁が置かれた場所です。藩主の保科家は、会津藩主・保科正之の養家にあたり、両家は密接な関係にありました。飯野藩は、会津藩の支藩的役割を担い、江戸湾警備でも協力しました。現在も広大な水堀が残り、往時の面影を伝えています。
飯野陣屋跡の説明板
3 東京都港区・千代田区
興禅寺(こうぜんじ)
東京都港区白金に位置する臨済宗の寺院です。戊辰戦争時の藩の全責任を負い自刃された家老・萱野権兵衛やその子孫の郡家もここにお墓があります。会津藩の悲劇を象徴する忠臣たちが眠る地として、現在も慰霊が続けられており、会津藩の歴史において、重要な場所です。
萱野権兵衛墓の墓参の様子(墓石には、萱野長修(ながはる)と刻まれています。)
郡家の墓
実相寺(じっそうじ)
東京都港区三田に位置する浄土宗の寺院です。会津藩祖・保科正之の厚い帰依を受けました。この寺は、江戸における藩主一族の菩提寺となりました。境内には、正之の継室である聖光院(於万の方)の墓もあり、静寂な佇まいの中に、会津藩の江戸での歩みを今に伝える貴重な史跡です。
聖光院墓の墓参の様子
和田倉門跡(わだくらもんあと)
江戸時代を通じて会津藩の上屋敷がありました。江戸城に近接するこの地は藩の政治拠点で、幕末には京都守護職を務めた松平容保もここから登城し、幕府を支える重責を担いました。現在は石垣が残るのみですが、かつては会津藩を象徴する重要な場所でした。この歴史を後世にしっかりと伝えるため、案内板の設置などを関係機関に働きかけてまいりたいと思います。
※興禅寺、実相寺、和田倉門跡では、会津大使 鈴木 忠正 様に、ご案内いただき、会津藩の歴史的つながりを丁寧に、わかりやすく解説をしていただきました。厚く御礼申し上げます。
【和田倉門跡周辺地図】
あとがき
今回訪問した会津とゆかりのある寺や墓所等につきましても、訪問場所ごとに、ご住職様、三浦半島会津藩士顕彰会、地元のボランティアガイドなどの皆様から、会津との歴史的なつながりについて大変丁寧にご説明をいただきました。また、会津の先人たちの足跡や墓所等の顕彰・保存に多大なるお力添えをいただいていることを再確認することができました。関係する皆様には、感謝の気持ちが絶えません。
千代ケ崎砲台跡から東京湾を見つめますと、かつて江戸湾警備として、異国の脅威から江戸を守るために国防の最前線で尽力した会津藩士たちの幕府への忠義が思い起こされます。特に、四方を山に囲まれた故郷から旅立った会津藩士達が、忠勤に励みながらも帰郷できず、不慣れな海風に吹かれながら墓地に眠る姿に、義に生きた会津人の誇りを感じずにはいられませんでした。
改めまして、横須賀市、富津市など今回ご案内いただいた全ての皆様に心より感謝申し上げますとともに、先人が築いた絆によるご縁を大切にしながら、自治体間はもちろんのこと、民間も含めて引き続き様々なかたちで相互交流が図られることを期待する次第であります。
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