会津ゆかりの地を訪ねて(令和5年11月・福岡県みやこ町、長崎県長崎市)

公開日 2023年11月17日

更新日 2023年11月20日

 令和5年11月10日(金)から12日(日)まで、会津若松市市民親善交流事業に53名の市民の皆様とともに参加してまいりました。

 

 今回は、令和4年9月に「郡長正ゆかりの地交流都市宣言」の盟約を締結しました福岡県みやこ町と、会津藩御用達商人 足立仁十郎と会津藩家老 西郷頼母の養子であり小説「姿三四郎」のモデルと言われる西郷四郎の墓所がある長崎県長崎市を訪問しました。

 福岡県みやこ町では、会津戦争敗北の責任を取って自刃した会津藩家老 萱野権兵衛の次男で、会津の誇りを胸に、わずか16歳で非業の死を遂げた斗南藩(旧会津藩)藩士 郡長正のお墓を墓参するとともに、留学先の小笠原藩藩校育徳館(現 福岡県立豊津高等学校)を訪問してまいりました。

 長崎県長崎市では、幕末のころより会津藩御用達の商人であり、七百石で会津藩に召し抱えられ会津に南蛮文化をもたらした足立仁十郎と、明治時代の講道館柔道の達人で講道館四天王の一人 西郷四郎のお墓を墓参するとともに、長崎の上水道創設に貢献した旧会津藩士で初代長崎県知事の日下義雄と、同じく旧会津藩士で初代長崎市長の北原雅長について学びました。

 

 また、それぞれの地域でお墓の保存活動や旧会津藩士の功績の普及活動などに取り組まれている皆様へ御礼の気持ちをお伝えするとともに、交流を深めてまいりました。

 

1 郡 長正ゆかりの地訪問  ~福岡県みやこ町 甲塚墓地・育徳館高校

 

 郡長正は、萱野権兵衛の次男でありますが、権兵衛の自刃によって萱野家の姓が断絶したため、母方の姓をとって郡と称しました。
 戊辰戦争後に、会津の教学復興のために選ばれた藩内の少年7名の一人として現福岡県豊津町の小笠原藩藩校育徳館に留学し、その後、会津の誇りを胸に、わずか16歳で非業の死を遂げました。育徳館の後身である福岡県立豊津高等学校は、会津の石2基などを配して郡長正記念庭園を昭和31年10月に校内に造成し、今なお郡長正精神を顕彰しています。豊津高等学校は平成19年に育徳館高等学校に名称を変更しました。
 また、豊津町では毎年命日に当たる5月1日に豊津郷土史会の皆様により、郡長正墓前祭を盛大に挙行していただいております。

 

 今回の訪問では、郡長正のお墓を墓参するとともに、当時の小笠原藩校・育徳館の校門であった「黒門」と豊津中学校時に建設された講堂で学校建築としては福岡県内最古の木造洋風建築物である「思永館」を視察しました。墓参はあいにくの雨に見舞われましたが、「思永館」では育徳館高校管弦楽部の生徒さんによる演奏のお出迎えをいただきました。

 また、みやこ町 内田町長をはじめ、みやこ町議会、みやこ観光まちづくり協会、豊津郷土史会の皆様とも交流を深めてまいりました。

 

郡長正墓参 育徳館高校

  甲塚墓地参拝(郡長正墓所)          育徳館高校管弦楽部の皆様

 

2 旧会津藩士(足立仁十郎・西郷四郎・日下義雄・北原雅長)ゆかりの地訪問  ~長崎県長崎市

 

 足立仁十郎は、幕末の会津藩御用達の長崎の豪商で、当時、海防警備役などで財政破綻寸前だった会津藩を和人参輸出の収益や献金で支えた人物で、会津戦争終結時に藩主 松平容保公が降伏謝罪の際に使用した緋毛氈や、唐人凧・カステラなどを会津に伝えた人物として名が残っています。

 西郷四郎は、会津藩家老 西郷頼母の養子で、講道館四天王の一人として「姿三四郎」のモデルともいわれています。長崎では、「東洋日の出新聞」を創刊し、記者として活躍したほか、旧制長崎商業高校では弓道師範を務め、遊泳協会の初代監督として水泳の普及にも励みました。
 日下義雄は、白虎市中二番隊 石田和助の実兄で、戊辰戦争後、東京で謹慎中に脱藩し足立を頼って長崎に移りました。初代長崎県知事として、当時、海外との往来で伝染病が大流行した長崎の衛生環境を改善しようと下水溝を整備したほか、日本3番目の近代的上水道の整備にも励みました。

 北原雅長は、会津藩家老 新保内蔵助の次男で、戊辰戦争では降伏するまで藩主のもとで戦いました。地方官僚を歴任した後に長崎市長となり、日下義雄の上水道整備を引き継ぎ完成させたほか、県内初の公共図書館の建設や港湾改良にも力を入れました。

 

 長崎市は市民親善交流事業では初めての訪問となりましたが、長崎史談会 野田様の講演や足立仁十郎・西郷四郎のお墓の墓参、長崎会津会の皆様との交流を通じて、長崎市と会津のゆかりについて、新しい発見がたくさんありました。

 

日下義男講演会.jpg 足立仁十郎墓参 西郷四郎墓参

長崎史談会 野田様(中央右)と長崎会津会の皆様    足立仁十郎墓所(崇福寺)          西郷四郎墓所(大光寺)
 

3 あとがき

 

 昨年「郡長正ゆかりの地交流都市宣言」の盟約を締結したみやこ町と今回が初めての交流となった長崎市を、多くの市民の皆様とともに訪問することが出来、大変意義深い訪問となりました。

 多くの先人が築いた絆によるご縁は、今を生きる私たちに残された貴重な財産です。今回のように市民親善交流推進事業などを通じて、多くの市民の皆様がこうしたゆかりの地への興味や関心を深め、またそこで得た新たな発見を地域の皆様と共有いただくことで、さらなる交流が生まれ、将来的な地域の発展につながっていくと思います。

 みやこ町・長崎市に残る、会津の先人たちの足跡やお墓などの顕彰・保存等にお力添えをいただいている皆様に心より感謝申し上げます。