会津ゆかりの地を訪ねて(令和3年11月新潟県小千谷市・上越市、長野県伊那市、群馬県高崎市・みなかみ町)

公開日 2021年11月29日

更新日 2021年11月29日

 令和3年11月5日(金)から7日(日)まで、53名の市民訪問団の皆様とともに、第21回市民親善交流事業に参加してまいりました。

 昨年度は、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となりましたので2年ぶりの参加となりました。

 

 今回の親善交流事業においては、本市のゆかりの地であります新潟県小千谷市・上越市、長野県伊那市、群馬県高崎市・みなかみ町を訪問しました。
 新潟県小千谷市・上越市では、戊辰戦争とその後の謹慎処分により、会津から遠く離れた地で亡くなられた会津藩士のお墓を墓参するとともに、地元で保存活動を行っていただいている皆様へ御礼の気持ちを伝えてきました。
 長野県伊那市では、会津藩の藩祖保科正之公のゆかりで平成12年の親善交流都市締結から20周年を迎えたことを記念して、白鳥孝伊那市長はじめ伊那市の皆様と今後の両市の発展に向けて意見交換を行い、懇親を深めました。また、保科氏の菩提寺である建福寺を墓参しました。
 群馬県高崎市では、小栗上野介の妻が会津藩に脱出する際に護衛として従い、その後、会津藩に加勢し、会津で戦死した佐藤銀十郎、塚越富五郎のお墓を墓参しました。みなかみ町では、戊辰戦争の三国峠の戦いで戦死した会津藩士町野久吉のお墓を墓参するとともに、地元で保存活動を行っていただいている皆様へ御礼の気持ちを伝えてきました。

以下、ゆかりの地訪問の様子を紹介します。

 

1 浦柄神社(新潟県小千谷市)境内にある会津藩士の墓地

 小千谷市の浦柄神社には戊辰戦争の戦場の一つとなりました朝日山古戦場で亡くなった会津藩士新国英之助他21人の墓碑があります。当時の戦いは北陸道を通り会津へ攻め入ろうとする新政府軍と奥羽越列藩同盟との間で激しい攻防が繰り広げられ、会津藩士も多くの犠牲者が出ました。地元の人々により手厚く葬っていただき、会津墓地として整備された歴史があります。現在も朝日山史跡保存会の皆様のご尽力により保全管理していただいております。
 当日は、大塚昇一小千谷市長、朝日山史跡保存会の佐藤智之会長他地元の方にご案内していただき、当時の様子について説明していただきました。
 会津から遠く離れた地で眠る会津藩士のお墓を長年にわたり整備、管理していただいていることに心より感謝申し上げ、改めて藩士たちのご冥福をお祈りさせていただきました。

浦柄神社(新潟県小千谷市)への墓参浦柄神社(小千谷市)への墓参                 
浦柄神社での小千谷市長ごあいさつ 浦柄神社での小千谷市長ごあいさつ            
浦柄神社での小千谷市長、朝日山史跡保存会佐藤会長と記念撮影 浦柄神社での小千谷市長、朝日山史跡保存会佐藤会長と記念撮影

 

2 金谷山墓地(新潟県上越市)にある会津藩士の墓地

 戊辰戦争後、会津藩士は高田藩に護送され、1,700名を超える藩士等が謹慎生活を過ごすことになりましたが、謹慎が解かれるまでの間に多くの方が亡くなりました。金谷山の会津墓地には68霊の藩士のお墓とともに、そのまま高田で生涯を過ごした会津ゆかりの方などのお墓も併設されております。
 現在は、地元の(公財)旧高田藩和親会、歴史研究会、武道団体、地元自治会、ボランティアなどの皆様のご尽力により保全管理していただいております。
 当日は、雨の中、地元の方に多数出迎えていただき大変感激いたしました。また、長年にわたり墓地を管理していただいていた佐藤仁様とも再会することが出来ました。改めてこれまでのご労苦に心より感謝申し上げました。
 今回は、当時17名の藩士の葬儀供養を行っていただいた法顕寺の池浦泰樹住職にもお越しいただき、読経の中、全員で菊の花を供え、墓前に静かに手を合わせました。
 小千谷市同様、会津から遠く離れた地で眠る会津藩士のお墓を長年にわたり整備、管理していただいていることに心より感謝申し上げ、改めて藩士たちのご冥福をお祈りさせていただきました。

金谷山会津墓地(新潟県上越市)への墓参 金谷山会津墓地(上越市)への墓参
佐藤仁様から会津墓地について説明を受ける様子 佐藤仁様から会津墓地について説明を受ける様子
金谷山会津墓地で地元の方と記念撮影 金谷山会津墓地で地元の方と記念撮影

 

 

3 親善交流都市締結20周年記念保科正之公ゆかりの地(長野県伊那市)訪問

 伊那市(旧高遠町)とは会津松平家の初代、会津藩の藩祖保科正之公ゆかりで平成12年に親善交流都市を締結しました。昨年度、締結20周年を記念して訪問する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響により1年延期しての訪問となりました。
 まず、伊那市役所を訪問しまして白鳥孝市長、林俊宏副市長と意見交換をさせていただきました。本市のスマートシティの取組みを紹介させていただくとともに、締結20周年を契機として両市の観光業、商工業、農業をはじめとする様々な分野で積極的に連携、交流を図っていくことを確認しました。その後、市民訪問団の皆さんとともに交流会に参加しまして伊那市の皆様との懇親を深めるとともに、この縁(ゆかり)を大切にしながらお互いに発展していくために連携を深めていくことを確認しました。
 余談ではありますが、今回の訪問で両市の食文化に共通点が多いことを再確認したところです。そば、日本酒はもちろん、饅頭の天ぷら、馬刺し、ソースかつ丼なども食する文化があるそうです。距離的には遠く離れていますが、ぐっと身近に感じるとともに現在もつながっている両市の縁(ゆかり)を感じることができた訪問となりました。
 翌日は、高遠郷土研究会の北原紀孝会長の案内により保科氏の菩提寺である建福寺を墓参し、コヒガンザクラで有名な高遠城址公園を散策しました。もみじまつりが開催されていて紅葉が美しい時期の訪問となりました。

長野県伊那市の白鳥市長、林副市長と懇談伊那市の白鳥市長、林副市長と懇談            
伊那市の皆様との交流会 伊那市の皆様との交流会。お互いに記念品交換を行いました。
保科氏菩提寺の健福寺(伊那市)を墓参 保科氏菩提寺の健福寺(伊那市)を墓参           

 

4 埋もれた歴史(群馬県高崎市・みなかみ町)を再発見

 今回の市民親善交流事業では、これまであまり知られていなかった歴史を市民訪問団の皆さんとともに知り、学ぶことができました。
 群馬県高崎市倉渕町の東善寺には、幕末に幕府の要人として横須賀製鉄所の設立をはじめ、日本の近代化のために活躍し、現在放映中のNHK大河ドラマ「青天を衝け」にも登場した小栗上野介のお墓があります。実は、その傍には従者として小栗上野介の妻を会津藩に預けるため同行し、会津で戦死した佐藤銀十郎、塚越富五郎のお墓があります。
 また、同県みなかみ町には、戊辰戦争の三国峠の戦いで戦死した会津藩士町野久吉のお墓があります。ご存知の方もいるかと思いますが、町野久吉(ひさきち)は会津藩重臣町野主水の弟です。白虎隊の一員であり槍の名手で、敵陣に突撃し、奮戦するも17歳の若さで亡くなったそうです。会津から遠く離れた地でこの若者がどんな思いで戦ったのでしょうか。死後、地元の方に手厚く葬られましたが、現在は立派なお墓が整備され、管理されておりました。
 当日は、みなかみ町の宮崎育雄副町長はじめ地元の方に出迎えていただき、同町の教育委員の利根川太郎様から説明をしていただきました。会津若松市からこれだけ多くの方が墓参に訪れたのは今回が初めてだったそうです。
 あまり知られることなく、会津から遠く離れた地で眠る会津藩士のお墓を長年にわたり整備、管理していただいていることに心より感謝申し上げ、改めて藩士たちのご冥福をお祈りさせていただきました。

佐藤銀十郎、塚越富五郎のお墓(群馬県高崎市)を墓参佐藤銀十郎、塚越富五郎のお墓(高崎市)を墓参     
町野久吉のお墓(群馬県みなかみ町)を墓参 町野久吉のお墓(みなかみ町)を墓参            
利根川太郎様から町野久吉について説明を受ける様子 利根川太郎様から町野久吉について説明を受ける様子

 

5 あとがき

  2年ぶりの市民親善交流事業となりましたが、市民訪問団の皆さんと会津ゆかりの地を巡ることができ大変意義深い訪問となりました。これまで光の当たらなかった所も含めて全国各地のゆかりの地とそこに眠っている先人の方々の功績に思いを馳せながら、そして、戊辰戦争から150余年を経ても会津藩士の墓を大切に管理してくださっている地元の多くの皆様への感謝の念を心に刻み、次の世代にしっかりと継承し、顕彰してまいりたいと考えております。

 

 

 

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