公開日 2018年11月28日
更新日 2021年07月13日
平成30年11月9日(金)~11日(日)にかけて、102名の市民訪問団の皆様とともに、第19回会津若松市民親善交流事業に参加してまいりました。
今回の親善交流事業においては、行程の途中で本市ゆかりの地であります、熊本県南阿蘇村、福岡県みやこ町、福岡県福岡市 を訪問しました。
南阿蘇村では、西南戦争において戦下の住民に対して人道的な対応を取りながらも戦死した会津藩家老 佐川官兵衛の顕彰碑を参拝するとともに、顕彰会の興梠二雄会長からご説明をいただきました。
また、みやこ町では、戊辰戦争の責任を一身に負い切腹した萱野権兵衛の次男であり、会津藩士の名誉を守るために自刃した郡長正の墓所を参拝するとともに、豊津郷土史会の皆様との懇談を行いました。
福岡市では、白虎隊に編入され、戊辰戦争後は東京帝国大学(現東京大学)総長や九州帝国大学(現九州大学)初代総長を務めた山川健次郎ゆかりの九州大学を訪問し、久保千春総長のお出迎えをいただきますとともに胸像と記念碑を見学しました。
以下において、ゆかりの地訪問の様子を紹介します。
1 佐川官兵衛ゆかりの地訪問 ~熊本県南阿蘇村 佐川官兵衛記念館~
佐川官兵衛公は、戊辰戦争における勇猛な戦いぶりから「鬼官兵衛」との異名をとりましたが、真っすぐで愛嬌のある性格から多くの人に慕われました。戊辰戦争後の明治7年に旧会津藩士たちの生計の途をひらくため、藩士300余人を率いて警視庁に奉職し、自らは大警部となりました。
同10年2月には、西南戦争における豊後口警視隊一番小隊長として九州に渡ります。西南戦争は官軍、薩軍ともに粗暴な振る舞いが横行しましたが、官兵衛公は自らの隊には、戦場での住民に対する略奪や暴力行為を一切禁じ、住民からも「鬼様」と慕われました。そのような中、同年3月18日熊本県阿蘇郡二重峠付近における薩摩の青年隊との激戦において身に銃弾をあびて戦死します。南阿蘇村において、そんな官兵衛公の生きざまに感銘を受け、永く顕彰活動をしていただいるのが、「熊本佐川官兵衛顕彰会」の皆様です。顕彰会の興梠二雄会長は官兵衛公の記念館を設立管理しておられます。興梠会長から官兵衛のご説明をいただくとともに、官兵衛の胸像に手を合わせ、記念館を見学しました。
※佐川官兵衛公の胸像とそれを建立した「熊本佐川官兵衛顕彰会」の興梠二雄会長
官兵衛公の胸像に参加者の皆様と共に参拝いたしました
※佐川官兵衛公が西南戦争時に豊後口警視隊一番小隊長として本陣を置いた個所を示す石碑
※「熊本佐川官兵衛顕彰会」の興梠二雄会長が私財を投じて建設した「鬼官兵衛記念館」
2 郡 長正ゆかりの地訪問 ~福岡県みやこ町 甲塚墓地 郡長正公墓~
郡長正は、戊辰戦争の責任を一身に負い切腹した萱野権兵衛の次男でありますが、権兵衛の自刃によって萱野家の姓が断絶したため、母方の姓をとって郡と称しました。
戊辰戦争後に、会津の教学復興のために選ばれた藩内の少年7名の一人として現福岡県豊津町の小笠原藩藩校育徳館に留学しましたが、食べ物が口に合わないと母への手紙に書いた後、母より届いた戒めの手紙を落としてしまい、拾った豊津藩士の子弟に大衆の面前でののしられました。 会津武士道を辱めたと感じた長正は、会津武士の屈辱をはらそうと、藩対抗剣道大会において完勝した後、16歳という若さで切腹して果てました。
育徳館の後身である福岡県立豊津高等学校は、会津の石2基などを配して郡長正記念庭園を昭和31年10月に校内に造成し、今なお郡長正精神を顕彰しています。豊津高等学校は平成19年に育徳館高等学校に名称を変更しました。
また、豊津町では毎年命日に当たる5月1日に豊津郷土史会の皆様により、郡長正墓前祭を盛大に挙行していただいております。
※福岡県みやこ町の甲塚墓地にある郡長正の墓碑
井上幸春みやこ町長とともに墓参
※毎年5月に郡長正の法要を行っている豊津郷土史会の皆様との懇談
※郡長正が学んだ育徳館の後身である福岡県立豊津高等学校
3 山川健次郎ゆかりの地訪問 ~福岡県福岡市 九州大学伊都キャンパス~
山川健次郎は家老職の家に生まれ、日新館に学びました。戊辰戦争時は白虎隊に編入されましたが年少のため除隊となりました。戦後は猪苗代で謹慎の身となりましたが、脱走する形で新潟に移り、長州藩士奥平謙輔の書生として漢学を学び、その後、佐渡と東京で英語、数学を学びました。明治4年に国費でアメリカに留学し、エール大学で物理学の学位を得て、日本初の理学博士となりました。その後、東京帝国大学(現東京大学)に登用され、理科大学長、総長を歴任し、次いで九州帝国大学(元九州大学)初代総長を務め、さらに、京都帝国大学(現京都大学)の総長も務めました。
~あとがき~
本市は平成31年度に市制施行120周年を迎えます。戊辰戦争の戦禍を受け、廃墟と化したまちの中、会津の先人の皆様の活躍により数々の時代を経て、本市は会津地方の中核都市として発展を遂げてきました。本市には、多くの先人の方々の活躍に関連したゆかりの地が全国各地あります。先人の皆様の偉大な功績に想いを馳せ、皆様が築き上げてこられたこの美しい会津若松を、そしてこの会津の地に連綿と続く精神文化をしっかりと受け継ぎ、次の世代へ継承していかなくてはなりません。その意味からも今後とも、全国各地で活躍された会津ゆかりの先人の方々を顕彰して参りたいと考えています。
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