公開日 2017年12月01日
更新日 2018年07月09日
平成29年11月19日(日)と20日(月)の2日間、市議会の目黒議長とともに新潟県長岡市、上越市、小千谷市を訪問してきました。
この3市とは、戊辰戦争の折にともに西軍と戦ったり、戊辰戦争後の永預りの際に大変なご厚遇をいただいたりと、歴史的にも深いご縁があります。
今回の新潟県訪問は、県内各地において戊辰150周年を来年に迎えるにあたり、新潟県内各地に眠る先人たちの慰霊と、今後の各市との相互交流、発展に向けた意見交換を行ってまいりました。
以下に、会津若松市と新潟県のゆかりの地を巡った様子を紹介します。
1 ~上越市にある会津藩士の墓墓参~
戊辰戦争の後、多くの会津藩士が高田藩に預けられ謹慎(永預り)を命ぜられました。当時の高田藩は財政が困窮していたにもかかわらず、会津藩士のための病院所を開設いただくなど大変厚遇をいただき、さらには謹慎生活中に亡くなってしまった藩士を手厚く葬っていただきました。現在、上越市金谷山には、その会津藩士たちの墓があり、旧高田藩和親会をはじめとする地元団体の皆さまの手で大切に守っていただいております。
今回の訪問では、墓地を管理していただいている佐藤仁様より資料を交えて説明をいただきました。また、約150年という歳月を経た現在においても、保全管理をいただいておりますことに深く感謝申し上げるとともに、藩士たちのご冥福をお祈りさせていただきました。
2 ~小千谷市にある会津藩士の墓墓参~
小千谷市には、戊辰戦争の際の戦場のひとつ「朝日山古戦場」があります。ここでは、北陸道を通り会津へ攻め入ろうとする新政府軍と、奥羽越列藩同盟(長岡藩、会津藩、米沢藩、桑名藩)の激しい攻防が繰り広げられ、会津藩士にも多くの犠牲者が出ました。その会津藩士達の遺体は、地元の人々により手厚く葬っていただいき、その墓が同市内の浦柄神社に会津墓地として整備されました。
会津墓地は現在、地元の浦柄史跡保存会より管理いただき、当時の攻防戦の内容や会津墓地が整備された経過について、分かりやすく説明された看板が設置されております。
今回の墓参の際には、浦柄史跡保存会会長の佐藤均様より、保存会発足の由来や会の活動のご説明をいただき、改めて感謝の気持ちをお伝えいたしました。
3 ~小千谷市長、議長との昼食懇談~
小千谷市の大塚昇一市長、小千谷市議会の田中淳議長と昼食を交え、今後の両市の相互交流、発展に向けた意見交換をさせていただきました。来年の戊辰150周年に向けて、小千谷市様においても記念事業等を検討しているとのことです。
4 ~長岡市表敬訪問~
長岡市とは、戊辰戦争の折に長岡藩と会津藩がともに同盟軍として西軍と戦ったという歴史的な縁を共有しております。また、来年は戊辰150周年とともに長岡藩開府400年迎えられることから、これを機にさらなる両市の親善を深めてまいりたいと考えております。
今回の表敬訪問では、長岡市の磯田達伸市長、越後長岡藩牧野家第17代当主の牧野忠昌様、長岡市議会の丸山勝総議長とこれまでの両市の歴史的縁や今後の更なる交流について意見交換をさせていただき、最後は固い握手を交わさせていただきました。
~あとがき~
なかなか叶わなかった長岡市をはじめ新潟県のゆかりの地を巡ることができ、大変意義深い訪問となりました。
来年には、戊辰150周年を迎えますので、このたびの新潟県訪問を契機として、さらなる相互交流に繋げて参りたいと思いを強くした次第です。
お問い合わせ
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