会津ゆかりの地を訪ねて(平成29年10月 徳島県鳴門市、岡山県岡山市)

2017年11月1日

 平成29年10月6日(金)から8日(日)にかけて、115名の市民訪問団の皆様とともに、第18回会津若松市民親善交流事業に参加してまいりました。
 今回の親善交流事業においては、行程の途中で「徳島県鳴門市」と「岡山県岡山市」を訪問しました。


 鳴門市と会津若松市は、若松市第9代市長を務めた松江豊寿(まつえとよひさ)氏が、坂東俘虜収容所長時代のヒューマニズムあふれる史実を両市の共有遺産とするとともに、これを縁に両市民の交流が一層促進され、相互理解と友好親善のさらなる発展を願い、平成11年10月30日親善交流都市締結を宣言しています。

 また、岡山市では、第9代会津藩主松平容保公が京都守護職を務めていた際に公用人として渉外を担当するとともに、戊辰戦争後は岡山区長(岡山市長の前身)を務め、同市発展の基礎を築いた旧会津藩士 手代木勝任の縁でゆかりの地として位置づけさせていただいております。

 以下において、ゆかりの地訪問の様子を紹介します。

 

今回のゆかりの人物

松江豊寿

  • 1872年・出生 1956年・没

 9代若松市長。旧会津藩士松江久平の長男として生まれます。
 斗南藩移住後、軍人を志して陸軍士官学校に入学し、卒業後中佐の時徳島(板東)俘虜収容所所長となりました。第一次世界大戦で収容されたドイツ兵捕虜を、捕虜は愛国者であって犯罪者ではないので人道に扱うべきと主張し住民と交流させました。ドイツ兵捕虜により、牛乳、バター、パン作りなどが伝えられるとともに、ベートーベンの交響曲第9番のアジアで初めて 演奏されました。大正11年より9代若松市長となり、上水道計画を決議。引退後は飯盛山の白虎隊墓地広場の拡張に尽力、弟松江春次の南洋開発にも協力しましたが、第二次世界大戦後病没します。

 

手代木勝任

  • 1826年・出生 1903年・没

 京都守護職時代の会津藩公用人。会津藩士佐々木源八の長男で、手代木勝富の養子となりました。京都守護職松平容保の公用人として渉外関係を担当、新選組や所司代、町奉行などを指揮し浪人の取締に当たりました。戊辰戦争では伏見の戦いで各地で転戦、奥羽列藩同盟で諸藩へ連絡を取り籠城戦では若年寄として奮戦。開城時には米沢へ秋月悌次郎(秋月胤永)と共に降伏の使者にたち、諸藩邸へ禁固され明治5年赦免となります。その後新政府に仕え明治11年岡山県吏となり16年岡山区長となりました。京都見廻組の佐々木只三郎は実弟。

 

1 ~松江豊寿のゆかりの地訪問~

 鳴門市では、松江豊寿ゆかりの「鳴門市ドイツ館」を訪問しました。

 鳴門市ドイツ館には、当時の板東俘虜収容所でのドイツ兵の様子や、地域の人々との交流の様子が展示されています。


 ドイツ館のエントランスでは、鳴門市の泉理彦市長と鳴門市の市民劇団「エベレスト座」の子供たちの歓迎を受けました。

鳴門市ドイツ館外観の写真鳴門市ドイツ館
ドイツ館訪問時の写真 鳴門市長や子どもたちに歓迎いただきました

 鳴門市ドイツ館のステージで劇団「エベレスト座」の皆さんによる、坂東俘虜収容所における、松江豊寿とドイツ兵捕虜との交流とアジア初のベートーベン交響曲第九が演奏されるまでを描いた演劇の一場面を鑑賞しました。子供たちのひたむきな演技に感動しました。

演劇の様子の写真 市民劇団「エベレスト座」による演劇を鑑賞させていただきました
館内見学の様子の写真 ドイツ館に展示されているさまざまな資料などを見学させていただきました

2 ~手代木勝任の墓参~

 現在の岡山市の前身である岡山区(明治期)の区長を務めた旧会津藩士の手代木勝任の墓参をしました。当日は、本市区長会の小林正一会長や大橋寛一元会長のほか、本市区長会と友好交流提携を行っている岡山市連合町内会の兼松和久元会長が立ち会われました。

手代木勝任の墓参の様子の写真 旧会津藩士の手代木勝任の墓参をしました

~あとがき~

 鳴門市とは、平成11年10月30日に親善交流都市を締結しました。また、岡山市も本市のゆかりの地として位置付けています。今回は115名の市民訪問団の皆様とともに、松江、手代木、両先生の功績を再認識することができた、大変意義深い訪問となりました。
 平成30年は、戊辰150周年の年となりますので、今後とも、全国各地で活躍された会津ゆかりの先人の方々を顕彰して参りたいと考えています。

 

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