会津若松市の登録文化財

公開日 2023年11月15日

  令和3年10月14日付けで、中央一丁目の鈴善漆器店の7棟の建造物が、新たに国の文化財登録原簿に登録されました。

 

鈴善(店舗、蔵座敷ほか5棟)中央一丁目

 天保年間に創業した漆器問屋の建造物です。三之町通りに面した店舗と蔵座敷、その奥にある中座敷は昭和初期に建てられました。

 大正9年に紺屋町から現在地に移転した頃に、敷地南側にある貯蔵蔵と米炭蔵が建てられたと推定され、その他に荷造り蔵、物置蔵を合わせた計7棟が登録されました。

 店舗は、軒下に帯状の幾何学模様の飾りが巡る洋風意匠の外観で、座敷蔵の屋根には会津地方で焼かれた赤瓦を使用しています。現在も店舗と資料館、体験学習施設として利用されており、見学が可能です。

鈴善北側の外観写真.JPG 左から店舗、蔵座敷の外観
鈴善座敷蔵一階の内観.JPG 蔵座敷一階の内部

登録有形文化財とは

 

 歴史的・造形的に貴重な建造物などの文化財を守り、地域の資産として活かすための制度です。

 貴重な近代の文化財が、建て替えや新たな開発によって消滅しつつある中、重要文化財の指定制度だけではカバーしきれない範囲について、届出制という緩やかな規制を通して保存を図ることを目的としています。

 

これまでに、会津若松市内では、以下の建造物および記念物が登録されています。

  • 向瀧旅館4棟(平成8年、東山町)
  • 林家住宅1棟(平成10年、材木町一丁目)
  • 日本基督教団若松栄町教会1棟(平成12年、西栄町)
  • 旧鍋三本店・星野家住宅2棟(平成29年、材木町二丁目)
  • 末広酒造嘉永蔵9棟(平成30年、日新町)
  • 平田家住宅3棟(平成30年、行仁町)
  • 会津飯盛山白虎隊士墳墓域(平成31年、一箕町)※登録記念物
  • 福西本店7棟(令和元年、中町)
  • 竹藤4棟(令和元年、中央一丁目)
  • 仙峡閣1棟(令和元年、大戸町大字上小塩)
  • 鈴木屋利兵衛2棟(令和3年、大町一丁目)
  • 関善吉薬局店蔵1棟(令和3年、河原町)

 

今回の登録で、計12件の建造物と1件の記念物が登録されました。

 

鈴木屋利兵衛(店蔵、旧主屋)大町一丁目

 店蔵、旧主屋ともに、伝聞と角釘の使用などから江戸時代末期に建てられたと推定されます。

 店蔵は外壁が黒漆喰で塗られ、2階は明治末期に天井や階段手摺などを洋風に改修しており、重厚な店蔵に洋風の意匠を導入しています。旧主屋は外壁が白漆喰で塗られ、明治後期の改修で建物の主要部を土で塗り込めており、当主の高い防火意識を見てとることができます。一部見学が可能です。

鈴木屋利兵衛店蔵外観(南側より).JPG 鈴木屋利兵衛店蔵の外観
鈴木屋利兵衛旧主屋外観.jpg 旧主屋の外観

関善吉薬局店蔵 川原町

 若松城下の西方郭外にある薬局です。建物は土蔵造2階建ての瓦葺で、大正4年(1915年)に建てられました。

 外壁は黒漆喰で塗られ、内部1階には調剤室と薬品棚を設けるほか、店蔵と主屋との境に防火対策で漆喰塗りの大型引き戸を備えるなど、当時の商家のようすを残すものとして登録されました。一部見学が可能です。

関薬局店蔵の正面外観.jpg 関薬局店蔵の正面外観
関薬局の薬品棚(関薬局提供).JPG 店蔵内の薬品棚(写真:関薬局提供)

福西本店(店蔵ほか6棟)、中町

 会津五街道の起点として栄えた大町通り沿いに位置する大型の商家です。

 通りに面する店蔵は大正3年(1914年)頃、袖蔵は明治19年(1886年)に建てられ、いずれも土蔵造2階建ての建築です。

 そのほかに、同じく土蔵造2階建ての座敷蔵と主屋蔵、木造2階建の主屋と離座敷の合わせて6棟と、工作物として煉瓦塀が登録されました。現在も資料館と店舗として利用されており、見学が可能です。

福西本店店蔵外観.jpg 福西本店店蔵の外観
福西本店店蔵内観.jpg 福西本店店蔵内

竹藤(店舗ほか3棟)、中央一丁目

 大町四ツ角から東に向かう馬場一ノ丁の街路に面して建つ店舗は天保12年(1841年)に建てられた木造二階建ての建物で、間口が7間(およそ12.7メートル)にもおよぶ大型店舗です。

 そのほかに、明治前期に建てられた木造平屋建ての主屋と、土蔵造2階建ての竹蔵、座敷蔵の計4棟が登録されました。現在も店舗として利用されており、一部見学が可能です。

竹藤店舗外観.jpg 竹藤店舗の外観
竹藤店舗内.jpg 竹藤店舗内

仙峡閣 大戸町大字上小塩

 芦ノ牧温泉にある温泉旅館です。昭和13年(1938年)に福島市内に建てられた武徳殿を同30年(1955年)に移築、拡張して温泉旅館に転用しました。木造一部鉄筋コンクリート造三階建ての建物です。

 武徳殿の特徴がよく表れており、建物の大胆な転用の経緯と勇壮な外観をもつ旅館建築です。宿泊可能です。

仙峡閣外観.jpg 仙峡閣の外観
仙境閣の正面入り口.JPG 仙峡閣の正面入口

会津飯盛山白虎隊士墳墓域 一箕町 

 戊辰戦争において、飯盛山で自刃した会津藩白虎隊士を祀る墓所です。この墳墓域は明治16年(1883年)から整備が進められ、その後明治23年(1890年)、大正15年(1926年)の拡張を経て、現在の姿となりました。

 墳墓域の北側には白虎隊士19士の墓石、その前面には大正6年(1917年)の戊申50年祭記念の石灯籠4基が並びます。広場手前の石段沿いには墳墓の沿革碑が建ち、このほかイタリア・ローマ市が昭和3年(1928年)に寄贈した碑など、白虎隊を追悼・顕彰する多数の石造物があります。

 幕末の戊辰戦争による悲劇と、その慰霊の歴史を理解するうえで意義深いものとして登録されました。戊辰戦争に直接由来する文化財としては、指定・登録合わせて全国でも初めてのものです。

石造物と白虎隊十九士の墓.JPG 狛犬・石柱と白虎隊十九士の墓
白虎隊三十一士の墓.JPG 白虎隊三十一士の墓

末廣酒造嘉永蔵(主屋ほか8棟)日新町

 主屋は明治42年(1909年)に建てられ、大正11年(1922年)に増築された2階建て(一部3階建て)の建造物です。

 そのほかに明治25年(1892年)に作られ、現在は喫茶室として活用されている新蔵や、酒蔵4棟、レンガ造りの煙突など計9棟が、城下町の歴史的景観や、古くからの酒造施設のようすを残すものとして登録されました。一部見学が可能です。

末廣酒造嘉永蔵の外観写真.jpg 末廣酒造嘉永蔵主屋の外観
末廣酒造嘉永蔵の主屋吹抜け.jpg 主屋の吹抜け

平田家住宅(主屋、東蔵、西蔵)行仁町

 近代の城下町のようすを残す和風住宅である平田家住宅は、明治後期に建てられた主屋と、東蔵、西蔵の計3棟が登録されました。 西蔵は明治8年(1875年)に建設され(昭和30年改築)、現存するものでは数少ない明治初期の建物です。通常は非公開です。

平田家住宅の主屋.jpg 平田家住宅の主屋
平田家住宅の西蔵外観.jpg 西蔵の外観

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