公開日 2017年01月06日
更新日 2021年03月31日
高巌寺にあるこの五輪塔は、蒲生氏郷の孫、秀行の子で蒲生家三代目の領主、蒲生忠郷のもので、死去した寛永4年(1627)に建てられたといわれています。
「新編会津風土記」には、享保10年(1725)に行った百回忌供養では、忠郷の木像を安置した影堂の前に五輪塔があったと書かれています。
昭和44年の大町土地区画整理事業の際に、墳墓は削り取られて無くなり、五輪塔も移転しました。
このような変遷はありますが、五輪塔は塔身約4.23メートルと大きく、重圧感のある江戸前期の建造物です。