公開日 2017年01月06日
更新日 2017年01月06日
至徳元年(1384)葦名直盛によって築かれた黒川城が若松城の前身であるといわれています。
その後、伊達政宗に続いて天正18年(1590)蒲生氏郷が入城し、黒川城を近世城郭に改築し、七層の天守を完成して名称を若松城と改めました。
慶長3年(1598)には上杉景勝、寛永4年(1627)から加藤嘉明が居城し、寛永16年(1639)に加藤明成によって、西出丸や北出丸の大改修を経て
現在の若松城が完成しました。
寛永20年(1643)保科正之が封ぜられた後は松平氏が代々居城して、戊辰戦争には一ヶ月にも及ぶ籠城に耐えて、その堅固さが示されました。
明治7年(1874)に取り壊されましたが、昭和40年(1965)に天守閣、平成13年には南走長屋と干飯櫓が復元されました。
平成23年に天守閣の屋根を45年ぶりに葺き替え、それまでの黒瓦を赤にしました。
赤瓦は会津松平藩の藩祖保科正之時代の慶安元年(1648)頃に葺き替えられたことが記録されています。
表面に釉薬を施して焼いた赤瓦は強度があり、会津の冬の厳しい寒さ、凍結にも耐えることができたようです。