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西郷邸跡(さいごうていあと)

鶴ヶ城正面の追手町にある。
西郷家は藩祖以来の重臣で、戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)であった。
明治元年(1868)8月22日情勢が切迫、頼母は恭順を主張して謹慎を命じられていたが急遽登城、翌23日には新政府軍が城下に殺到し、頼母の母・妻・妹・娘の9人と縁者らの家族計21人がここで自決した。
妻千重子の辞世の歌は「奈与竹之碑」となり、墓とともに善龍寺に建っている。(周辺マップへ


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函館市(西郷頼母箱舘戦争に参加)
日光市(西郷頼母・日光東照宮禰宜職)
館林市(西郷頼母幽閉地)
松崎町(西郷頼母・謹申学舎)

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西郷頼母

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戊辰戦争・会津戦争
五稜郭の戦(箱館戦争)

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善龍寺なよたけの碑西郷一族の墓
会津武家屋敷(西郷邸を復元)




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