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白虎隊士の墓(びゃっこたいしのはか)

飯盛山の山中にある。明治元年(1868)8月23日、戸ノ口堰から飯盛山北麓までのトンネル(長さ210メートル)を通って引揚げてきた白虎隊士20名は、飯盛山から炎上した城下を見て鶴ヶ城落城と判断、全員がその場で自決した(飯沼貞吉のみ蘇生)。
戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされ白虎隊士の遺骸も埋葬を許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬された。明治2年にようやく飯盛山の中腹に合葬がゆるされ、その後自刃19士の墓が建ち、墓所も拡張され大正15年ごろに現在の形になった。
かたわらに松平容保の「幾人の涙は石にそそぐともその名は世に朽ちじとぞ思ふ」の歌碑がある。(周辺マップへ


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札幌市(飯沼貞吉)
仙台市(飯沼貞吉)
海津市(高須藩・松平容保生家)
京都府(松平容保京都守護職)
日光市(松平容保東照宮宮司)
鳴門市(松江豊寿)

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飯沼貞吉
松平容保(歌碑)
松江豊寿(墓地広場拡張に尽力)

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戊辰戦争・会津戦争

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鶴ヶ城
妙国寺
日新館跡




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