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加藤時代(かとうじだい)

寛永4年(1627)徳川家康より伊予松山を与えられていた加藤嘉明は、大坂の陣で功をあげ会津領主となった。
家臣・寺院への知行給与、領内の地名改称と滝沢峠の整備、若松城の改修を行ったが老齢のため四年後に死去した。

息子の明成は寛永16年(1639)鶴ヶ城の大改修を行って、慶長の大地震で傾いた七層の天守閣を五層とした。また出丸を拡張、追手門の変更、石垣の整備などで鶴ヶ城を難攻不落の名城に築き上げた。

しかしこの改修は幕府の法令を無視し、領内に重税を課すものであった。また重臣堀主水との不和により、主水は家臣・一族共に武装して若松を出立。郭外より鶴ヶ城に向けて発砲し逃走、幕府に明成の非行を訴えた(堀主水事件)。明成は主水らを処刑したが、幕府の法令無視により会津の領地を返上した。幕府は加藤氏の功績もありその子明友に石見国吉永に領地を与えて、のち加藤家は近江国水口ー下野国壬生ー水口と転封された。



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松山市(加藤嘉明前任地)
大田市(加藤明友移封先)
鎌倉市(堀主水の妻東慶寺に保護)
甲賀市(加藤家移封先)

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横山俊益

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鶴ヶ城(鶴ヶ城改修)
河原町口郭門跡(堀主水事件)




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