| >飯野藩 |
| 飯野藩(いいのはん) |
| 寛永14年(1637年)、保科正貞は、保科正之(出羽国最上城主)から保科家累代の家宝類を譲り受け、保科宗家を継いだ。保科正貞は、保科正之の養父保科正光(高遠藩初代藩主)の弟にあたる。 慶安元年(1648年)保科正貞は飯野藩を興す。石高2万石。 幕末の会津藩主・松平容保の義姉照姫は飯野藩出身であり、飯野藩九代藩主保科まさもと正丕の三女である。照姫は、戊辰戦争の鶴ケ城籠城の折り、婦女子を総指揮し負傷者の看護・炊事・弾丸の製造にあたった。 また萱野権兵衛が戊辰戦争の責任を一身に背負い切腹した場所は飯野藩江戸屋敷である。 現在、保科正貞が築造したといわれる陣屋は、日本三大陣屋の1つといわれており、飯野陣屋濠跡が千葉県の文化財に指定されている。 |
| 富津市 |