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北海道開拓
(ほっかいどうかいたく)

  1. 明治2年の廃藩置県で蝦夷地は北海道と改称された。その中で瀬棚郡ほか4郡が斗南藩領に分領されたため、藩では各地に藩士を移住して開拓に当たった。瀬棚郡は現在の久遠郡せたな町で最近まで若松町の字名が残っていた。

  2. 新政府は、戊辰戦争の結果無防備となっていた北海道に謹慎中の会津藩士を送り、開拓民兼有事の際の軍隊とした。その後斗南藩預けとなった会津藩士らは、樺太開拓使黒田清隆次官に樺太開拓使として移住を願い出る。その後樺太移住は中止、明治4年会津藩士は北海道開拓使として北海道余市川河口の上流地域に入植を果たし、努力の末余市町を創建した。

  3. 明治政府は北海道開拓と北方警備のため、屯田兵(有事には軍隊となる開拓民)の募集を開始。明治8年入植の琴似屯田兵村には多数の斗南藩士(元会津藩士)が応募しており、優秀さを認められ異例の昇進をする者が出た。
    その中でも元会津藩士三沢毅は明治10年の西南戦争(屯田兵が唯一出兵)で功をあげ、最後は大尉までになった。

  4. 会津藩譜代丹羽家10代目の丹羽五郎が、曽祖父丹羽能教にならい北海道開拓を志す。
    明治25年に移民を率いて北海道に渡り、瀬棚郡利別の荒野を拓いて丹羽村を建設した。

  5. 明治29年(1896)会津若松の高瀬喜左衛門他が「会津植民組合」を設立、北海道の開拓に当たった(若松村)。
    移住開拓地は現在の久遠郡せたな町で今も若松の地名が残っている。


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余市町(旧会津藩士開村)
札幌市(琴似屯田兵村)
せたな町(丹羽村・若松村)

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丹羽五郎(丹羽村)




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