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| 戊辰戦争・奥羽越列藩同盟(ぼしんせんそう・おううれっぱんどうめい) |
| 明治元年(1868) 新政府の薩摩藩西郷隆盛は幕府を挑発する目的で、江戸の薩摩藩邸に浪士を集め市中でゲリラ活動を行った。さらに江戸取締の庄内藩の営所を襲ったので、幕府は庄内藩らに命じて江戸薩摩藩邸に報復攻撃を行った。その報を受け江戸へ向かった大阪の旧幕府軍は新政府軍と鳥羽、伏見街道で接触し激戦となったが、その洋式軍備の前に敗退した(鳥羽・伏見の戦い)。戦意を失った徳川慶喜は側近を伴い大阪城を脱出して江戸城へ逃亡した。 江戸城で新政府との恭順を決めた慶喜は、長州に敵視されていた松平容保・定敬を追放、失意の会津藩は江戸を引き上げ会津に帰った。容保は恭順の意を表し新政府に嘆願書を提出していたが聞き入れられなかったので、一方で軍制を改革して新政府軍の攻撃に備えた。 そのさなか奥羽鎮撫総督九条道孝が松島に入り、仙台藩を始め奥羽諸藩に会津藩討伐を命じた。しかし仙台・米沢両藩は奥羽諸藩を結束させ会津救済の嘆願書を九条に提出した。新政府総督府参謀世良修蔵は嘆願を拒否、奥羽諸国に敵意を向けたので、仙台藩士により世良は暗殺された。奥羽諸国、越後6藩は奥羽越列藩同盟を結び、新政府軍の侵入に備えることを決議した。また会津藩と庄内藩には会庄同盟が結ばれた。 新政府軍は奥羽に総攻撃を開始、白河城と長岡城から激戦の火ぶたが切られた。新政府軍の前に会津の東方の列藩同盟藩は相次いで陥落、長岡城も落ち、政府軍は会津藩領内に迫った。 |
| 鶴岡市(会庄同盟) |
| 上越市(戊辰戦争) |
| 長岡市(戊辰戦争) |
| 新潟市(戊辰戦争) |
| 松平容保 |
| 松平定敬 |
| 河井継之助(長岡藩家老) |
| 手代木勝任 |
| 伴百悦 |
| 広沢安任 |
| 佐川官兵衛(北越戦を戦う) |
| 山本覚馬 |
| 建福寺(河井継之助の墓) |