| >葦名時代 |
| 葦名時代(あしなじだい) |
| 葦名氏の祖、佐原義連は三浦半島一帯を支配した三浦大介義明の末子。衣笠城の東南佐原(横須賀市佐原)の丘陵に城を構え佐原氏を名乗る。源頼朝の信頼は厚く軍功によって会津四郡を賜った。 義連はその孫達に会津の土地を与え、うち光盛が葦名を名乗ったと伝えられる。 15世紀初頭南北朝に分かれ戦った会津の佐原一族は、猪苗代の猪苗代氏だけを残し葦名氏に滅ぼされていき、葦名盛氏の時代には葦名氏が会津一円の支配をほぼ完成した。 この時期の葦名氏は伊達氏との同盟を結んでいたが、直系の当主が相次いで亡くなると、伊達氏と敵対していた常陸(茨城県)太田城佐竹義重の次男義広に葦名氏を継がせた。これが伊達氏との対立を深刻にさせ政情が動揺。天正17年(1589)6月、磐梯山麓の磨上原の戦いで伊達政宗に大敗した義広は、葦名譜代に黒川城を追われ常陸へ走り、葦名家は事実上滅亡した。 |
このページの内容及び画像の転載・二次使用を禁止します。