| >会津藩の北方防衛 |
| 会津藩の北方防衛(あいづはんのほっぽうぼうえい) |
| 安政六年(1859) 日本の対ロシア関係は、ロシア海軍提督プチャーチンが日本に派遣され、安政元年(1854)に和親条約、同5年(1858)には修好通商条約が結ばれ、直 接北海の海が荒らされる事もなく国境問題も落ち着いていた。しかし幕府は警戒を怠らず、北海の防衛のため蝦夷地(北海道)を会津・仙台・秋田・庄内の四藩 に天領含めて分割、領地として与え、海防の備えを厳にするよう命令した。これにより標津・斜里・紋別一帯は会津藩領となり、函館奉行の支配地網走も会津藩 が警備を担当することになった。 |
| 紋別市(会津藩北方防衛地) |
| 標津町(会津藩北方防衛地・ホニコイ陣地) |