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戊辰戦争・会津戦争(ぼしんせんそう・あいづせんそう)

明治元年(1868)
二本松城を占領した新政府軍は、東部の藩境母成峠・石莚口を攻撃。伝習隊、土方歳三の新選組、猪苗代城の会津兵が応戦したが守りきれず退却した。会津軍は進路の日橋川にかかる十六橋を破壊して新政府軍を止めようとしたが間に合わず、退いて戸ノ口原で決戦するべく鶴ヶ城に援軍を頼んだ。(この時滝沢本陣から派遣されたのが飯盛山で自刃した白虎士中二番隊である。)。

戸ノ口原をも突破した新政府軍は滝沢峠から若松城下に侵入し、甲賀町郭門はじめ北側各郭門を突破し鶴ヶ城に迫ってきた。城内は手薄であったため、郭内の武士の家族は半鐘を合図に続々と入城したが、西郷一族を始め婦人や老人・子供の多くが足手まといになるのを恐れて自刃した。新政府軍はいったん市街地を引き上げ帰城する会津軍の包囲網をしいたので、援軍はなかなか入城できなかった。また郭外では佐川官兵衛率いる会津軍が各地で転戦した。一方新政府軍は小田山から鶴ヶ城に向けて砲撃を繰り返したので、城内に犠牲者が続出した。

それでも一ヶ月の籠城に耐えたが、米沢藩の勧めもあってついに降伏。甲賀町通りで降伏式が行われた。すでに若松の町は大部分が焦土と化していた。



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海津市(高須藩・容保生家)
桑名市(松平定敬領地)
水戸市(市川隊)
郡上市(郡上藩凌霜隊)
長岡市(戊辰戦争)
富津市飯野藩

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松平容保
松平定敬
秋月胤永(降伏式に列席)
飯沼貞吉(白虎隊市中二番隊)
遠藤敬止(会津軍に参戦)
梶原平馬(武器弾薬を調達)
萱野権兵衛(最後の家老)
手代木勝任(若年寄)
伴百悦
ヘンリー・スネル
日向内記(白虎隊中二番隊頭)
佐川官兵衛
柴四郎柴五郎
中野竹子(娘子隊隊長)
新島八重
山川浩山川健次郎

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鶴ヶ城
小田山(新政府軍の砲撃地)
甲賀町通り(降伏式)
萱野権兵衛の墓
西郷邸跡
なよたけの碑
西郷一族の墓
柴家一族の墓
白虎隊士の墓
長岡藩士殉節の碑
中野竹子殉節の碑




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