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祝映画化まつえとよひさ特集
松 江(まつえ) 豊 寿(とよひさ)

板東俘虜収容所長(鳴門市)
第9代若松市長
明治5年(1872年)〜 昭和31年(1956年)

(写真:鳴門市ドイツ館蔵)

はじめに

 本市出身の松江豊寿をご存知ですか。
平成18年6月17日に松江豊寿を主人公とした映画「バルトの楽園(がくえ ん)」が全国公開されます。この機会に偉大なる先人「松江豊寿」を多くの方々に知っていただきたく「ゆかりの地ネットワーク」内に特 集ページを設けました。是非ともご覧ください。

※松江豊寿は、会津若松市と徳島県鳴門市が親善交流都市と して盟約を締結した際、その礎となった人物です。

松江豊寿とは

 板東俘虜収容所長・第9代若松市長。
 旧会津藩士松江久平の長男として明治5年6月に若松の馬場下五ノ町に生れたといわれています。軍人を志して陸軍士官学校に入学。各地を転戦し、大正6年 に陸軍大佐、板東俘虜収容所(鳴門市)の所長となりまし た。
 第一次世界大戦で収容されたドイツ人捕虜を 「捕虜は愛国者であって犯罪者ではないので人道的に扱うべき」と主張し、捕虜たちに商店街、パン工場、印刷所などの施設を自主的に運営させることをできる 限り認めました。さらにはスポーツや音楽などの様々な活動が行われ、地元住民と数多くの交流が生れました。またドイツ人捕虜たちの手で ベートーベンの交 響曲「第九」が日本で初めて全曲演奏されたことは有名で す。
 これらは、当時としては考えられないできごとであり、松江豊寿が敗者の歴史を知る「会津人」であったからこそ成しえたといわれています。
 その後、大正11年より第9代若松市長となり、上水道計画を決議。引退後は飯 盛山の白虎隊墓地広場の拡張に尽力、弟松江春次の 南洋開発にも協力したが、第二次世界大戦後病没しました。

冊子を作成しました。パンフレット表紙
 市内の子どもたち(小学5年生から中学生まで)
を対象に右の冊子を配布しました。
 郷土出身の「松江豊寿」の偉業と会津の先人から
受け継いだ「ならぬことはならぬ」に代表される倫
理観を伝えようとする取り組みです。

松江豊寿顕彰 冊子(pdf形式 5,638K)
※転載、二次使用を禁止します。

「松江豊寿」作文コンクールを実施しました。
受賞者と作品
要項(pdf形式58kb)


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