山川浩
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山川浩(やまかわ ひろし)

弘化2年〜明治31年(1845〜1898)

会津藩家老職の家に生まれる。19歳で京都にいた藩主容保の命で上京し奏者番となる。幕府の樺太境界議定に随行、世界の体勢を学ぶ。会津戦争では新政府軍に包囲された鶴ヶ城を、彼岸獅子舞を奏して入城、総指揮をとる。明治2年松平家の家名を再興、翌年斗南藩大参事となり藩務にあたる。廃藩後は陸軍省に入り、少将まで進む。この間、東京高等師範学校長などを兼務。弟健次郎と共に編集した「京都守護職始末」は維新史の新生面を開いた。
(佐川和子蔵・写真提供:博物館会津武家屋敷)



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十和田市(元斗南藩領)
むつ市(元斗南藩領・姉妹都市)
野辺地町(元斗南藩領)
京都市(奏者番)

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広沢安任(斗南藩少参事)
山川健次郎
大山捨松

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戊辰戦争・会津戦争
鶴ヶ城籠城戦
斗南藩

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鶴ヶ城
大山捨松生誕の地




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