33歳で会津藩家老職に就任。田中土佐と共に、会津藩主松平容保に京都守護職辞退を進言。戊辰戦争では和議恭順を唱え抗戦派に命を狙われ城下を脱出。のち箱館戦争に参加する。降伏後は館林藩に幽閉。赦免後明治4年伊豆松崎に行き、郷学謹申学舎塾長を務めた。3年後福島に戻り棚倉の都々古別神社宮司となったが、西南の役を起こした西郷隆盛との交流がきっかけで解雇。以後日光東照宮禰宜職などを経て明治36年若松で没する。(写真提供:博物館会津武家屋敷)