初代長崎市長。会津藩家老神保内蔵助の次男(兄は神保修理)で北原家を継ぐ。戊辰戦後には萱野権兵衛の自刃に立ちあった。後に長崎県吏となり、日下義雄長崎県知事に見いだされ明治22年初代長崎市長となる。その後東京下谷区長にもなったが、引退後は浜松で和歌に親しみ72歳で没した。著書に京都守護職時代の会津藩の動向を記した「七年史」がある。