幕末の京都に名をとどろかせた新選組の局長。当時の新選組は京都守護職松平容保のもと、会津藩支配下の浪士だった。新選組は鳥羽伏見の敗戦によって北へ敗走。近藤は板橋(東京)の処刑場で斬首刑に処せられ、京都三条河原にさらされた。会津入りした土方歳三によって遺髪を葬ったとされる墓が、会津若松市内の天寧寺にある。(佐藤福子氏蔵・写真提供:博物館会津武家屋敷)