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萱野権兵衛(かやの ごんべえ)

天保元年〜明治2年(1830〜1869)

藩主松平容保が京都守護職にあった際、国家老として内政の責任を担っていた。明治元年(1868)戊辰戦争がおこると、他の家老は自刃あるいは行方不明となったので、事実上の責任者として激務にあたった。敗戦処理に対して藩主父子の助命嘆願に尽力した。その結果、「家老田中土佐、神保内蔵助、萱野権兵衛」が戦争責任者となったが、他の二人はすでに自刃していたので、一人首謀者として明治2年切腹した。



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余市町(萱野権兵衛殉節碑)

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松平容保(降伏式調印)
秋月胤永(降伏式に列席)
北原雅長(自刃にたちあう)
郡長正

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戊辰戦争・会津戦争

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甲賀町通り(萱野権兵衛降伏式に列席)
阿弥陀寺(萱野権兵衛遥拝碑)
萱野権兵衛屋敷跡
天寧寺(萱野権兵衛の墓)




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