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保科正之(ほしな まさゆき)
人物説明慶長16年〜寛文12年(1611〜1672)

会津松平家初代藩主。徳川秀忠の子だが、母が側室ゆえ武田信玄の娘見性院に養育された。信州高遠の城主保科正光の養子となる。
三代将軍家光は正之を実弟として、最上山形、続いて会津の城主とした。
家光没後正之は幼将軍家綱を補佐、文治主義を徹底させた。
若松滞在は生涯3度であったが腹心の家老らが統治にあたり、特に家訓十五ヶ条で子孫に徳川家への絶対忠誠、法の絶対服従を示した。
没後は猪苗代の土津(はにつ)神社に祀られた。
また、その分霊が札幌市の琴似神社に祀られている。
(土津神社蔵・写真提供:博物館会津武家屋敷)

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札幌市琴似神社
山形市(保科正之前任地)
米沢市(保科媛姫墓)
伊那市(保科家領地)
さいたま市(養母見性院墓)
阿賀町(保科正之建立「余五将軍維茂墓碑」)
金沢市(保科家血縁)
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横田俊益
山鹿素行
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松平家院内御廟
大龍寺(お供寺)
大法寺(お供寺)
建福寺(お供寺、保科家菩提寺)
浄光寺(お供寺、母菩提寺)
善龍寺(お供寺)


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