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蒲生氏郷(がもう うじさと)

弘治2年〜文禄4年(1556〜1595)

会津領主。近江国日野城主蒲生賢秀の子。13歳の時織田信長の人質になるもその才を買われ次女冬姫をめとった。本能寺の変で信長が亡くなると秀吉と信長の弔い合戦で戦功をあげる。
天正18年(1590)小田原討伐の功で豊臣秀吉より会津拝領となり、秀吉の奥羽仕置を助けた。
文禄元年(1592)黒川城を七層の大天守閣として鶴ヶ城と命名。郭内の町屋敷を郭外に移し新しい町つくりを行った。地名を若松に改め、酒・漆器などの殖産政策を行った。
またキリシタン大名としても知られ、茶の道でも利休七哲の一人。
(興徳寺蔵・写真提供:博物館会津武家屋敷)



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日野町(蒲生氏郷生誕地)
松阪市(蒲生氏郷前任地)

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千少庵

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鶴ヶ城
恵倫寺(父の菩提寺)
興徳寺(蒲生氏郷の墓)




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