前のページに戻る

手代木直右衛門(勝任)【てしろぎ すぐえもん(かつとう)】

 会津藩士佐々木源八の長男で、手代木勝富の養子となった。京都見廻組の佐々木只三郎は実弟。1863年松平容保公が京都守護職に就任すると、公用人として渉外関係を担当。京都において、新選組や所司代、町奉行などを支配下に置き、これらを指揮して浪人の取締りにあたるなど、当時、藩主容保公をもしのぐ影響力を持っていたとも言われている。戊辰戦争では伏見の戦いで各地で転戦、奥羽列藩同盟で諸藩へ連絡を取り籠城戦では若年寄として奮戦。開城時には米沢へ秋月悌次郎(胤永)と共に降伏の使者にたち、諸藩邸へ禁固され明治5年赦免となる。その後新政府に仕え明治11年岡山県吏となり16年岡山区長に進んだ。臨終の際、「坂本龍馬を斬ったのは弟であり、命令は公儀のお偉方だ」と語った。享年78歳。

関連情報をチェック
    
佐々木只三郎

前のページに戻る