世界の野口英世

牛荘(ニューチャン)(1899年)
北里柴三郎の勧め
で、清国(現在の中国)の牛荘(ニューチャ
ン)へペスト国
際予防委員会のメンバーの一人として行った
フィラデルフィア(1900−1903年)
恩師である小林先生
や血脇先生の援助を受け、アメリカのフィ
ラデルフィアに
ある、ペンシルベニア大学医学部へ行くことになりました。そこで、野口英世
は、蛇毒の研究をしていました
。
コペンハーゲン(1903−1904年)
デンマークのコペン
ハーゲンにある、カーネギー大学のマドセ
ン博士に師事、
約、1年間の留学をする。
ニューヨーク(1904年〜)

ロックフェラー財
団によるロックフェラー
研究所の所長に、ペンシルベニア大
学のフレキスナー博士が迎えられ、一等助手に野口英世が迎えられました。
野口英世のロックフェラー研究所時代での研究を分けると大きく3つに別れま
す。
- 蛇毒の研究(1901年〜)
- 梅毒の研究(1905年〜)
- 黄熱病の研究(1918年〜)

ロックフェラー研究所での研究ぶりは猛烈で、他の所員から「日本人はいつ寝
るのだろう?」と言われていました。
また、この土地で妻メアリーと知合い、結婚しています。(右写真は、ロック
フェラー研究所時代の野口英世の写真、左写真は、野口英世の妻であるメアリー
夫人の写真)
ドイツ・ベルリンなど(1913)
ロックフェラー研究所で梅毒のスピロヘータの研究に成功し、ドイツを始めヨーロパ各地の講
演旅行をする。
一時帰国(1915)
海外で大成功を収めた野口英世は日本に一時、帰国した。その時、野口英世は
大勢の新聞記者に囲まれたことからも、野口英世の功績の凄さが分かると、思
います。
エクアドル・グアヤキル(1918〜)
黄熱病の研究のため、エクアドルのグアヤキルに出張。
その後、野口英世は黄熱病のさらなる研究のために、南米各地を回りました。
ペルー
ブラジル
メキシコ
野口英世はここでも黄熱病の研究を行ないました。
ガーナ・アクラ(1927〜)
南米で野口英世が作った薬では、アフリカの黄熱病は治らない、という連絡を
受け、アフリカのアクラへ出張。しかし、そこで野口英世は逆に黄熱病にかか
り、
51歳の偉大な生涯を閉じた。