トップページへ 1つ上[甦る鶴ヶ城 干飯櫓の復元]

甦る鶴ヶ城 干飯櫓(ほしいやぐら)の復元

第24回 「史跡若松城跡の今後」

廊下
 再建された当時の鶴ヶ城天守閣の写真。お城は末永く残していきたいみんなの財産です

 2年間にわたって連載してきたこのコーナーも今回が最終回です。

 の連載の始めにも紹介しましたが、市では平成8年度に「史跡若松城跡総合整備計画」を策定しました。干飯櫓(ほしいやぐら)・南走長屋(みなみはしりながや)復元事業は、この計画に基づいて行われたものです。この復元事業を行うには詳細な資料調査や発掘調査が必要不可欠でした。このため、十分な資料を求めて、国内や海外の博物館などにも問い合わせました。

 ケ城の復元的整備の歴史をひもとくと、明治7年までに天守閣を始めとする建物がすべて取り壊され、昭和40年に天守閣を再建するまで、約90年が経過しています。この間、第2次大戦後には本丸内に競輪場が建設されるなどしました。そして天守閣の再建から平成2年に麟閣(りんかく)が移築復元されるまで25年、それから今回の干飯櫓・南走長屋が復元されるまでさらに10年がたっています。

 なみに、全国的な傾向をみると昭和30年から昭和40年ごろは第1次ブームとされ、このころに再建された主なところは、名古屋城天守閣(昭和34年)、熊本城天守閣(昭和35年)などがあげられます。そして現在が第2次ブームとされ、干飯櫓・南走長屋のほかには、松本城太鼓門、駿府(すんぷ)城二之丸東御門、身近なところでは白河城などが再建されています。

 ずれにしても、お城の整備を進めていくことは大変な時間と労力などを伴うことであり、史跡若松城跡の今後を考えるにあたっては長期的な展望を持つことが必要です。「城は一日にして成らず」といったところでしょうか。

 守閣や干飯櫓・南走長屋を眺めながら、往時のお城に思いをめぐらせ、そして100年後のお城を想像してみるのも一興かもしれません。