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甦る鶴ヶ城 干飯櫓(ほしいやぐら)の復元

第22回 「鶴ヶ城の古写真」

鶴ヶ城1

 イタリアで発見された鶴ヶ城の写真。天守閣の張出部分の白漆喰が、ほとんど崩れ落ちています
鶴ヶ城2

 今回、国内で発見された鶴ヶ城の写真。天守閣は崩れることなく保たれています
 飯櫓(ほしいやぐら)・南走(みなみはしり)長屋復元事業にあたって、古写真などの資料調査を行ってきたことは以前にも述べたとおりです。この結果、イタリアでより鮮明な鶴ヶ城の古写真が発見されました。この写真は、天守閣の東面が写っているもので、今まで知られていた写真と同様のものでしたが、かなり鮮明な写真でした。

 して今回、国内で違ったアングルから撮られた鶴ヶ城の古写真が見つかりました。この写真には天守閣の南東面が写っていますが、これを従来の写真と見比べてみると、古写真の撮影にまつわる面白い事実が判明しました。

 まで、天守閣の古写真は、明治5年5月に小山弥三郎という人が撮影したというのが定説でした。ところが、2つの写真の天守閣三層の張出を比べると、従来の写真では白漆喰がほとんど崩れ落ちているのに対して、今回見つかった写真では、まだ残っている状態にあります。このことは、2枚の写真の間に時間的な経過があることを示しています。つまり、これら2枚の写真は、違う時期に撮影されたということがわかります。

 内外の様々な文献を調べてみると、小山弥三郎が撮影したのは、今回新たに見つかった天守閣南東面の写真のようです。となると、従来知られていた写真はだれが、いつ撮影したことになるのでしょうか。

 れらについては、今のところ判明していません。今後の調査によって特定されるかも知れませんし、まだ見つかっていない写真が発見されるかもしれません。古写真1枚の発見で歴史の新たな一面が明らかになりました。