
第17回 「干飯櫓・南走長屋の役割について」
干飯櫓=(ほしいやぐら)/南走り=(みなみはしり)
干飯櫓は若松城内にあった十一の二重櫓の中で一番大きかった櫓です。会津藩の文献資料である「家世実紀」では「糒櫓」とも書かれており、米を備えると書くその字のとおり、糒(干飯)などの食糧の貯蔵庫として使われていました。
*の名前の元となった「干飯」は、「炒米」などとともに、当時の保存食の一つです。作り方は、案外簡単なもので、炊いたご飯を水で洗って粘りを取り、天日に干して乾燥させればできあがりです。これをそのまま食べたり、水やお湯で戻したりして食べていました。すぐに食べられるので、当時のインスタント食品といったところでしょうか。これら干飯などは、特に戦が起きたときなどは、兵士たちの食糧として重要なものでした。干飯櫓の位置が本丸の西南角にあり、鉄門、南走長屋から続いて建っているところからも、干飯は、いざというときのための蓄えであったと思われます。 また、干飯櫓は南側の濠に面しており、石落しが備えられています。このことから、お濠からの敵の侵入を防ぐ点でも、重要な役割を担っていたと思われます。 南走長屋は、表門(鉄門)から続いており、帯郭と本丸を隔てる重要な位置にあります。現在ある天守閣から表門をつなぐ走長屋とともに表門を守り、帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ要となっていたと思われます。 *のように重要な役割を担う干飯櫓・南走長屋は、太い部材を使い丈夫な構造をしていたと考えられます。壁などは、お城のほとんどの建物に言えることですが、かなり厚く、何重にも塗られており、銃弾などが容易に貫通することができなくなっています。 天守閣の古写真を見ると、新政府軍の砲撃を受けたあとがよくわかりますが、その骨格まで全壊したわけではありません。お城の堅牢さがうかがえます。
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