
第八回 「櫓の木構造 その一」
戦国時代の城は、急な山に領主の館を構える山城が一般的でした。桃山・江戸時代になると、政治・経済活動に有利な平野を望む丘を利用し、天守や櫓を持つ平山城が出現しました。この城の櫓は、高い石垣の上に大規模な木造建築をするといった、それまでになった建造物であるため、技術革新も行われました。
その一つが「土台」といわれる部材の考案です。この部材は、柱の下に水平に据えて、柱からの荷重を石垣や基礎に伝え、建物の足元を強固にする働きをします。また、柱を正確な位置に立てる役割も担っています。土台がなかった時代の建物は、地面に穴を掘り、そのなかに柱を入れ込む「掘立て柱」か、礎石といわれる石の上に立柱するいずれかの方法で建てられたようです。石垣のような不規則で固い地盤には、これらの工法を用いることができないため、従来なかった土台を採用したと考えられています。 干飯櫓では、四方の外側の柱は石垣の上に位置するため土台の上に載り、また、建物のほぼ中央にある二本の通し柱は、礎石の上に据える構造になっています。なお、土台の使用は、発掘調査で確認されています(市政だより五月一日号参照)。 工事では、前述の構造に基づいて復元していますが、現行の建築基準法との整合を図り、入場者の一層の安全を確保するため、遺構をほごしたうえで、その上に土台を据える構造としています。木材の接合方法として、土台同士は端部をかぎ状に加工した「継手」といわれる方法で嵌め合わせています。また、柱と土台の接合は、柱の端部を細くして、土台の中に入れ込む「柄差し」という方法を使っています。これらの方法は、ほかの各部位の接合にも使用しています。 また、古写真で、櫓の南側の石垣より迫り出した形での「石落し」が確認されました。これは土台を使うことにより備えることができたと、考えられています。
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