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甦る鶴ヶ城 干飯櫓(ほしいやぐら)の復元

第六回 「使用木材について」

鳥瞰図
南走長屋に据えられた18センチメートル角の檜の柱と、その上に架け渡された直径約30センチメートルの松の梁です。
 江戸時代前期は、桃山時代から続く城普請や城下町造営に従う木材需要があり、飛鳥・奈良時代や第2次世界大戦後の復興期と並ぶ木材大量消費時代であったといわれています。その影響で、城下付近の木材が枯渇する傾向にあり、森林資源の枯渇回避が幕府や各藩の政策課題となりました。

 会津藩でも、官地(御林)民地を問わず、木材使用の節約伐採の抑制、または用材確保のための植林奨励などの政策がとられていたようです。例えば、慶安2年(1649)に『会津第七木』として漆木、桑、翌檜、杉、槻、松、モチノ木を定め、無許可伐採を禁止し、さらに元文5年(1740)には、越後国に移出していた木材のうち、杉、檜、松、姫松、槻、桐、桂、朴の8品種の出材禁止や、屋敷地の竹木伐採を取り締まり、造林を奨励していました。ほかにも、沿道沿いの「並木松」の保護や災害防止のための「保安林」、軍事目的の「風致林」の保護政策もとられていました。また、幕府や他藩も、類似の政策をとっていたようです。

 そのような中、干飯櫓・南走長屋が建設されましたが、当時どのような木材が使用されていたか、文献を手がかりに、またほかの城郭を参考類例として調査を行い、復元工事に使用する木材を選定しました。木材は国産材だけを使用し、中心部の赤身の部分を使います。それは、外側の白身の部分より腐食しにくく、虫害にも強いという特徴を持っているためです。

 部位ごとに説明しますと、柱には6寸角(18センチメートル)の檜、土台は7寸角(21センチメートル)の栗、梁や板には松、造作材は松や杉を用いています。特に干飯櫓には直径約50センチメートル、長さ約6・5メートルの松の梁が架かり、1尺角(30センチメートル)で長さ約7メートルの欅の通し柱2本が据えられています。

 現場では、すでに軸組工事が完了していますが、赤身材で総量も423石(約118立方メートル)にも及ぶため、調達するのに大変苦労しました。