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甦る鶴ヶ城 干飯櫓(ほしいやぐら)の復元

第四回 「石垣の積み替え」

石垣の積み替え
解体した石材は、同じ場所に積み直すため一つずつに番号を付けています。積み替え用の石材は、当時「御普請山」と呼ばれていた東山町の石山から切り出しました。
 今回の石垣補修工事は、復元される干飯櫓・南走長屋の土台となる石垣の補修で、膨らみだしている部分の積み直しや、風化などにより破損している石の交換をする工事でした。

 天守台の石垣は今から約400年前、当時の領主蒲生氏郷の時代に造られたものです。天守台の積み方は「野面積み」といい、自然石をそのまま積む方法ですが、今回工事をした石垣は天守台より約50年後の築造で、当時の工法としては新しい「布積み崩し」という積み方で積まれています。この工法の特長は、『石を加工する』ということです。石を加工する(形を整える)ことによって、石とのすき間を小さくすることができ、積みやすく強固で崩れにくくなります。また、一番の利点として、「野面積み」より石垣を高く積むことができたということです。戦いの多かったこの時代において、敵から城を守る石垣はとても重要であり、強固な石垣を造るのには画期的な方法でした。時代と共に石積みの技術も短期間に進歩していったのです。

 工事で使用した補足材は、東山町の石山地区から切り出した石材を使用しました。この石は通称「慶山石」と言われ、城内の大部分がこの慶山石を使用して造られています。工事で交換した石については、「平成9年度取替」と裏に墨で書き込みをし、既存の石と区別できるようにしています。

 今回の工事では、昔の土木技術の高さに感心させられました。特に、石垣上端から下端までの微妙な曲面をなす壁画や曲面にするための石一つひとつの加工、積み方、そして石垣全体のバランスがすばらしかったことです。また、解体して分かった石材の奥行きなど、さまざまな技術が美しく強固な石垣を造りだしていました。

 お城の石垣も造った時代によっていろいろな積み方があります。散歩しながら違いを探してみるのも、また面白いかもしれませんね。


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