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市長日記



「友好都市の締結に向けて」

「沢田横須賀市長と記念撮影をする菅家市長」の写真
これからも、本市と横須賀市の友好の輪が広がる取り組みを進めていきます(沢田横須賀市長と)

 11月14日は、横須賀でのヴェルニー・小栗祭に招待され、献花をしてまいりました。
 横須賀と会津若松は、驚くほど歴史的にゆかりの深いところです。まず、横須賀を本拠地とした三浦大介義明の末男である佐原十郎義連(よしづら)が、奥州藤原征伐の戦功に対して源頼朝(よりとも)から会津四郡を与えられました。その義連の孫の光盛が芦名の姓を名乗り、伊達政宗(まさむね)に滅ぼされるまでの約400年間、会津を治めたというゆかりがあります。
 また文化7年(1810年)、会津藩主・松平容衆(かたひろ)は、浦賀周辺の海岸防備を命じられるとともに、3万石の地を与えられ、三浦半島の大半を支配する領主でもありました。鴨居村腰越には陣屋を、観音崎には台場(砲台)を築き、江戸湾の守りにあたっていました。会津藩は家族連れの藩士が多く、子弟教育のため藩校「養正館」や「集義館」を開設し、教育に力を入れました。また会津藩の統治の間、亡くなった藩士や家族の墓が鴨居周辺にあり、今でも地元の顕彰会の方々が毎年法要を執り行っているというゆかりがあります。
 そして、日本最初の近代工場である横須賀製鉄所の建設に力を尽くしたのが、江戸幕府勘定奉行の小栗上野介です。彼は幕末の動乱の中で薩長軍に倒されました。しかし彼の身重の婦人は、会津へ逃れてかくまわれ、上野介の遺児を出産した所が会津であったというゆかりがあります。
 わたしたちが伺ったその日の夜、横須賀の沢田市長さんと神保議長さん、本市の二瓶議長とわたしとでとで懇談し、会津若松市と横須賀市の友好都市締結に向けて、今後交流していくことを誓い合いました。

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