神指城跡 神指城跡
(こうざしじょうあと)

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 神指城は、上杉景勝の築城です。慶長4年(1599)会津120万石へ国替となった上杉景勝は、居城である鶴ヶ城が小田山に近く、守りに不安があったため、周囲が開けており大川の水を利用できる神指原の地に築城を始めました。
 築城は慶長5年(1600)2月から始まり、12万人を動員し昼夜兼行の突貫工事で進められました。しかし、この築城工事が徳川家康に上杉征伐の口実を与え、数ヵ月後の6月10日、会津征伐が間近に迫ったことから、工事が中止されました。 
 徳川家康が上杉討伐のため伏見を出たのは、6月16日。それを待っていたかのように石田三成ら西軍が兵をあげ、家康は、小山(栃木県)から江戸へ引き返し、9月15日の関ヶ原合戦を迎えます。しかし、関ヶ原合戦で西軍は敗れたため、西軍の一翼を担っていた上杉景勝は、米沢30万石に国替となりました。神指城はそのまま破棄されたまま、現在にいたります。 
 面積は鶴ヶ城の2倍の55ha。完成すれば奥州を代表する巨大城郭が出現するはずだった神指城ですが、現在は二の丸の一部と本丸跡をわずかに残すのみです。



●お問い合わせ 会津若松市観光課
〒965−8601  会津若松市東栄町3-46
TEL 0242−39−1251 ・ FAX 0242−39−1433

●観覧時間 見学自由

●交通 バス停「黒川」下車 徒歩15分


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