公開日 2017年01月06日
興徳寺の境内にあり、江戸時代に編纂された「新編会津風土記」には文禄4年(1595)に京都で亡くなりました。
蒲生氏郷の分骨を納めるために昌林院を建て、その中に高さ9尺の五輪塔があったと書かれています。
また、文禄5年(1596)7月12日の年記銘のある「蒲生氏郷御霊屋棟札」には、蒲生秀行が亡き父氏郷の菩提供養のために御霊屋を建て、その中に
無縫塔を安置したとされているため、建っている位置は同じものの、無縫塔から五輪塔に変えられたとも考えられます。
会津若松の基礎となる町割りを築いた蒲生氏郷に関連するものとしては市内に残る唯一の遺跡です。